東京高等裁判所 平成11年(ネ)2860号 判決
主文
一 控訴人の被控訴人破産者椎原建設株式会社破産管財人(以下「被控訴人(破産会社管財人)」という。)に対する控訴を棄却する。
二 原判決主文第二ないし第四項を次のとおり変更する。
1 控訴人は、被控訴人破産者椎原邦晴破産管財人(以下「被控訴人(破産者管財人)」という。)に対して一二五万一六一三円を支払え。
2 同被控訴人のその余の請求を棄却する。
三 控訴人と被控訴人(破産会社管財人)との間で生じた控訴費用は控訴人の負担とし、控訴人と被控訴人(破産者管財人)との間で生じた訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを一〇分し、その一を控訴人の、その余を同被控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 控訴人
1 原判決中被控訴人敗訴部分を取り消す。
2 控訴人らの請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
二 被控訴人ら
本件控訴をいずれも棄却する。
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 当事者
(一) 椎原建設株式会社(以下「破産会社」という。)及び椎原邦晴(以下「破産者」という。)は、いずれも平成八年一〇月二四日自己破産を申し立て、同年一二月一七日午前一〇時横浜地方裁判所において破産宣告を受け、各被控訴人が破産管財人に選任された。
(二) 控訴人は、昭和五四年ころ破産会社に就職し、経理事務を担当していた者である。
2 保険契約者の地位確認について
(一) 破産会社は、昭和六二年一二月一日三井生命保険相互会社と原判決別紙保険目録記載の保険契約(被保険者は控訴人、保険金受取人は破産会社。以下「本件保険契約」という。)を締結した。
(二) 控訴人は、本件契約の契約者が控訴人であるとして被控訴人(破産会社管財人)が保険契約者であることを争っている。
3 金銭請求について
(一) 南幸ビルの賃料など
(1) 破産者及びその父である椎原敏博(以下「敏博」という。)は、控訴人に対してその共有にかかる原判決別紙物件目録一記載の建物(以下「南幸ビル」という。)を次表1のとおり貸し渡した。
表1<省略>
(2) 敏博は、平成八年一月五日に死亡し、その子である邦晴が同人を相続した(他の相続人は相続を放棄した。)。
(3) 被控訴人(破産者管財人)は、控訴人に対して、南幸ビル二ないし四階部分については平成九年三月一三日到達の書面によって、同入口ホール及び五階部分については平成一〇年一〇月二九日到達の書面によって、前者については一〇日以内に、後者については五日以内に延滞に係る賃料を支払うように催告し、右期間内に支払わないときはその賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。
(4) 控訴人は、平成八年一月一日から平成一〇年一一月二五日までの前記賃借部分の賃料ないし解除後の損害金を支払わない。
(二) 浅間町ビルの賃料の不当利得返還請求
(1) 敏博は、その所有にかかる原判決別紙物件目録二記載の建物(以下「浅間町ビル」という。)のうち、平成七年当時二階の二部屋(いずれも賃料月額八万五〇〇〇円)及び三階の三部屋(いずれも賃料月額九万円)を第三者に賃貸した。
(2) 控訴人は、浅間町ビルの右各室にかかる平成七年一〇月から平成八年八月までの一一か月分の賃料四八四万円を収受した。
(3) 平成八年四月には四階の一部屋(賃料月額三〇万円)も第三者に賃貸されたが、控訴人は、同月から同年八月までの賃料合計一五〇万円を収受した。
よって、被控訴人(破産会社管財人)は、控訴人に対して本件保険の契約者が同被控訴人であることの確認を求め、被控訴人(破産者管財人)は、控訴人に対して、南幸ビルの賃料及び損害金の合計八七〇万八三三三円、浅間町ビルの賃料に関する不当利得返還請求権に基づいて合計六三四万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成九年七月二四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める(ただし、浅間町ビルについての不当利得返還請求については四二九万七一〇〇円及び右同日から支払済みまで年五分の割合による金員の請求を越える部分は原審で棄却され、この棄却部分に関する不服申立はない。)。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1の(一)は知らない。同(二)のうち、控訴人が破産会社に被控訴人主張のころ採用され、経理に関与したことは認める。控訴人は電話番として採用されたものである。
2 同2の(一)、(二)は認める。
3(一) 同3の(一)の(1) (2) は認める((3) については明らかに争わない。)。
(二) 同3の(二)のうち控訴人が浅間町ビルの各室の賃借人から賃料を受領したことは認めるが、受領した賃料の額は次表2のとおりである。その余は否認する。なお、浅間町ビル二〇一、三〇二、三〇三、四〇一の各室は控訴人が敏博から賃借し、第三者に転貸していたものであり、右各室の賃料は転貸料である。
表2<省略>
三 抗弁
1 本件保険契約について
破産会社と控訴人は、控訴人に対する退職金の支払に代えて本件保険契約の契約者名義を破産会社から控訴人に変更することを合意し、平成七年一一月一一日付けで三井生命に対して本件保険の名義変更請求書を提出し、平成八年一月一六日右請求どおりに契約名義が変更された。
2 南幸ビルの賃料について
(一) 控訴人は、入口ホール及び五階(屋上部分)の賃料月額五万円については、その二〇年分一二〇〇万円を前納した。
(二) 控訴人は、平成九年九月末日に南幸ビルを退去した。
(三)(1) 控訴人は、敏博に対して昭和六三年一〇月に三五〇〇万円を貸し付け(なお、このうち、六五〇万円は南幸ビルの保証金、敷金に充てられた。)、二八五〇万円の貸金を有していた。
(2) その他に、破産会社及び敏博は、平成六年九月三〇日現在で別紙のとおり、控訴人に対して連帯して二六五二万九五二九円の債務を負担していた(同年一〇月二五日付けで債務弁済契約公正証書が作成されている。以下「公正証書による債権」という。)。
(3) 控訴人と敏博は、平成七年一〇月二三日南幸ビル二ないし四階の賃料については履行期到来の都度敏博及び破産会社に対する右貸金などの債権と対当額で相殺することとし、現実には支払わない旨の合意をした(以下「一〇月二三日合意」という。)。
(四)(1) 仮に一〇月二三日合意が認められないとしても、控訴人は、(三)の(1) 及び(2) の債権を自働債権として本訴請求に係る南幸ビル二ないし四階の平成八年一月一日以後の賃料債務と相殺する。なお、破産宣告後の賃料であっても、当期及び次期の賃料については相殺が許される。
(2) 控訴人は南幸ビル二ないし四階についてそれぞれ敷金として二〇〇万円ずつ合計六〇〇万円を支払っているところ、平成九年九月末日に南幸ビルを退去したから、破産宣告の当期及び次期以後の賃料については右敷金返還請求権と相殺する。
3 浅間町ビルの賃料について
(一) 敏博と控訴人は、破産者立会いのもとで、平成七年一二月一二日次のとおり合意した(以下「一二月一二日合意」という。)。
(1) 敏博が第三者に賃貸中の二〇三、三〇一、三〇二号の各室の賃料受領を控訴人に委任し、これを控訴人の破産会社に対する貸金など(公正証書による債権及び給与の未払金)に充当することを認める。
(2) 右以外の居室は控訴人に賃貸し、控訴人が支払うべき賃料は控訴人が敏博に対して有する貸金債権と相殺することを認める。
(二) これによって控訴人が被控訴人(破産者管財人)に返還すべき金銭は存在しない。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1のうち、本件保険契約の名義が控訴人主張のように変更されていることは認めるが、その余は争う。
2(一) 同2の(一)は否認する。ただし、その旨の敏博作成の領収書及び公正証書の存在することは認める。
(二) 同(二)は否認する。
(三) 同(三)は否認ないし争う。
(四) 同(四)は争う。なお、控訴人は第一審で相殺の主張ができたはずであり、当審で相殺の主張をすることは時機に後れたものである。
また、破産宣告(平成八年一二月一七日)以後に発生した賃料及び損害金については破産法によって相殺が禁止される。なお、控訴人主張の敷金が認められたとしても、貸金返済の便法として偽装された高額な敷金は、破産法一〇三条一項ただし書きの敷金には該当しない。
3 同3のうち、控訴人主張のような合意書の存在することは認めるが、その余は争う。
五 再抗弁
1 破産会社、敏博及び邦晴は平成七年一〇月当時から多額の負債を抱え支払不能の状態にあり、本件保険の契約上の地位の譲渡、一〇月二三日合意及び一二月一二日合意はいずれも破産債権者を害するものであったが、破産会社、敏博はそのことを知りながら右各行為を行ったものである。
2 被控訴人(破産会社管財人)は本件保険契約上の地位の譲渡について、被控訴人(破産者管財人)は、一〇月二三日合意及び一二月一二日合意について破産法七二条一号の否認権を行使する。
六 再抗弁に対する認否
争う。
七 再々抗弁(控訴人の善意)
控訴人は、破産会社や敏博らが本件保険の契約上の地位の譲渡、一〇月二三日合意及び一二月一二日合意当時、破産会社、敏博及び破産者が支払不能の状態にあり、これによって破産債権者を害することを知らなかった。
八 再々抗弁に対する認否
否認する。
第三証拠関係
証拠関係は、本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 請求原因のうち争いのない事実及びその余の事実と前提となる事実関係についての認定、判断(争いのない事実を含む。)は、原判決「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」一項に記載のとおりであるから、これを引用する。
二 本件保険契約の地位確認について
1 本件保険契約の名義変更(契約上の地位の譲渡)が破産会社代表者であった敏博の意思に基づいて行われたこと(抗弁1)、右名義変更が行われた当時破産会社が多額の負債を負い、平成七年一〇月までには財産状態が極めて悪化し、債務超過により債権者への弁済が著しく困難な状態となっていて右名義書換により破産会社の他の債権者を害することとなり、破産会社がそのことを知ってこれを行ったと推認されること(再抗弁1)、本件保険契約の地位の譲渡によって他の債権者を害することにつき控訴人が善意であったとは認められないこと(再々抗弁1)は、原判決「事実及び理由」中の「第三 当裁判所の判断」一(原判決書二九頁六行目から三〇頁四行目まで)、六(同三八頁一行目から五二頁五行目まで)に記載のとおりであるからこれを引用する(ただし、原判決書四七頁一行目の「されるのであ」を削る。)。
2 控訴人は、本件保険契約はその満期保険金を控訴人の退職金とする趣旨で締結されたものであり、平成七年八月ころに敏博が控訴人に退職を申し向け、同年一二月ころに控訴人がこれに応じたことによって退職金代わりにその名義が変更されたものであって、優先債権たる退職金の支払に代わるものであるから他の債権者を害するものではない旨を主張する。
退職その他の事由により従業員に多額の金員を支払う必要が生じた場合に備えてその原資に充てるため企業が従業員を被保険者として生命保険契約を締結する例は巷間見られるところであり、証拠(乙五〇、五七、六四、控訴人本人(原審及び当審))に照らすと、本件保険契約が控訴人主張の趣旨で締結されたことはあり得ることであると考えられる。しかし、破産会社には退職金の算定や支払の方法を定めた退職金規程はなく、他の従業員の退職に際して退職金は支払われていないことが認められるから(証人椎原邦晴)、控訴人が本件保険契約の名義変更当時解約返戻金、満期保険金等その財産的価値に相当する退職金を破産会社から受領する権利を有していたとは認められず、ほかに代表取締役としての敏博の一存でした右名義変更により控訴人が破産会社との労働契約上将来発生すべき退職金債権を当然に取得したと解すべき根拠も存在しない。そうすると、本件保険契約の名義変更は破産会社の他の債権者を害するものであるといわなければならない。
なお、付言すれば、前掲各証拠、甲一〇及び乙六一によると、敏博は自身を被保険者として保険契約を締結するつもりであったが、同人の身体の状態からこれがかなわず、それに代わって控訴人を被保険者とする本件保険契約が締結されたとの事情もうかがわれ、また名義変更前の本件保険契約では満期保険金、解約返戻金等契約に基づく給付が必ず控訴人に支払われるものとはされていなかったこと、他方控訴人は破産会社に対して多額の債権を有していたこと等の事実が認められるから、本件保険契約が控訴人に満期保険金等を得させることを目的として締結されたものであったとしても、その趣旨は前記のような支払の原資に充てるためというよりは控訴人が破産会社に対して有していた債権の保全のためであったのではないかとも考えられ、控訴人主張の趣旨であったとは必ずしも断定できないところがある。
また、控訴人は、本件保険契約の名義変更の趣旨が控訴人の退職金の支払に代わるものであるとの認識を有していたこと、すなわちこれが優先債権に対する弁済であると認識していたことを理由に、右名義変更によって他の債権者を害することを知らなかったとも主張しているが、控訴人が破産会社に対して退職金債権を有するものと誤認していたとしても、本件保険契約の名義を変更すれば解約返戻金、満期保険金等の給付につき控訴人が直接の請求権を取得することになるから、これにより破産会社の一般財産が減少し、ひいて他の債権者に対する弁済が困難となることは自明のことであるから、控訴人は当然にこれらを認識していたというべきである。そうすると控訴人に害意がなかったとはいえず、この点に関する控訴人の主張は失当である。
3 被控訴人(破産会社管財人)が本件保険契約の名義変更(契約上の地位の譲渡)につき否認権を行使したことは当裁判所に顕著であるから、本件保険契約は破産会社の破産財団に復帰し、その管財人である被控訴人(破産会社管財人)が契約上の地位を有することとなる。したがって、この点に関する同被控訴人の請求は正当として認容すべきである。
三 南幸ビルの賃料について
請求の原因3の(一)の(1) 、(2) (南幸ビル二ないし四階、入口ホール及び五階部分の賃貸借契約とその賃料の額及び相続)については当事者間に争いがない。
1 控訴人は、入口ホール及び五階(屋上部分)については賃料二〇年分一二〇〇万円を前納したため、被控訴人(破産者管財人)に支払うべき賃料などは存在しないと主張する(抗弁2の(一))。この点については、被控訴人(破産者管財人)も主張するとおり、賃料を二〇年分も前払いすることは極めて異例である上、中間利息を考慮せずに二四〇か月分の賃料をそのまま支払ったというのは一見不自然にも感じられる。
しかし、本件では敏博が作成した(公証人の面前で同人が記名押印した旨の認証がある。)右事実を証する領収書(乙六)及び同趣旨の公正証書(乙九)が存在し、一般的には金銭の授受に関してその裏付けとして十分とされる証拠が提出されている。しかも、控訴人は、昭和六三年一〇月に破産会社ないし敏博に対して三五〇〇万円を貸し付けていたが、右前納賃料一二〇〇万円についてはこのうち南幸ビル三階部分の賃貸借の保証金として充当した三〇〇〇万円を除いた五〇〇万円とその利息を充て、不足分二七八万円については現実に支払ったと供述しているところ、当時控訴人がその主張の融資をするに足りる資金を有していたこと(乙五九、六〇)、平成五年八月一八日に現実に二七八万円が敏博の口座に振り込まれていること(乙五八の1、3、5)が認められ、また、右振込に係る額は、一二〇〇万円から五〇〇万円とその利息額を差し引いた額に計算上ほぼ合致するから、控訴人の右供述は重要な部分で証拠によって裏付けられているというべきである。そして、控訴人は敏博及び破産会社に対してかなりの額の資金を継続的に融資してきていることも認められる上、入口ホール及び五階(屋上部分)の賃料月額五万円は他の部分の賃料に比してやや低廉に設定されていることも併せ考えれば、敏博ないし破産会社に対する資金援助等の趣旨も含めて控訴人主張のような賃料二〇年分一二〇〇万円を一括前納したものとしても、これが不合理であるとまではいえない。
したがって、この点に関する控訴人の供述及び乙六、九の記載は信用することができ、控訴人の抗弁2の(一)は理由がある。
2 一〇月二三日合意の成否及び控訴人の南幸ビルの占有喪失について(抗弁2の(二)、(三)について)
(一) まず、前提として控訴人の南幸ビルの占有の消滅について判断する。
証拠(甲二一の3、乙六五、控訴人本人(当審))によると、控訴人は南幸ビルにおいてカラオケ店を経営していたが、機械の納入に関して問題を生ずる事態となり平成九年七月一七日に大和英夫との間で右カラオケ店の資産一切を含む営業全部を譲渡する旨の契約書を作成したこと、控訴人はその後も南幸ビルのカラオケ店の営業に携わっていたが大和英夫との間で生じた紛議によって平成九年九月末ころまでにはカラオケ店の営業から半ば強制的に排除され南幸ビルの占有も右時点で喪失したことが認められる。なお、甲二一の3によると、平成一〇年八月二〇日付けの被控訴人(破産者管財人)の当事者照会に対して、控訴人代理人であった弁護士は、控訴人からの聞き取りとして「占有移転の事実はない」旨の回答を行ったこと、すなわちその時点で控訴人自身が南幸ビルを占有していると主張していたことが認められる。しかし、その回答のより具体的な内容は、前記営業譲渡が仮装されたものでありその対価も得ていないのにカラオケ店での営業から排除されたとするものであるから、「占有移転の事実はない」との回答部分は営業譲渡が無効なものであることを示しているにすぎず、控訴人の南幸ビル賃貸部分に対する事実的な支配が継続していることを示すものではないとも受け取れるのである。したがって、右証拠は前記認定の妨げとなるものではなく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
なお、南幸ビル二ないし四階の賃貸借契約は平成九年三月に被控訴人(破産者管財人)によって解除されているが、右部分に関する控訴人の占有は同年九月末までに消滅しているから、その後は控訴人が賃料相当損害金を負担する理由はない。そうすると、南幸ビル二ないし四階について本件で問題となるのは、平成八年一月一日から平成九年九月末までの賃料及び賃料相当損害金合計四二〇万円(月額二〇万円の二一か月分)ということになる。
(二) 次に一〇月二三日合意(南幸ビル二ないし四階の賃料債務と控訴人の敏博に対する債権とを順次相殺し、以後支払わない旨の合意)の成否、効力について検討する。
控訴人は、一〇月二三日合意の存在を供述しているところ、右合意の存在を示す客観的な証拠は提出されていないものの、前記のとおり右当時、控訴人は破産会社との間では本件保険契約の名義変更を、敏博との間では一二月一二日合意を行ったほか、南幸ビル二ないし四階のそれまでの賃料を預金していた敏博名義の銀行預金口座から六五五万七九〇八円(乙二三)の払戻しを受けて控訴人の破産会社ないし敏博に対する債権に充当する等債権回収のために各種の行動をとり、敏博もこれに応じていたことが認められ、この点に関する控訴人の供述に反する証拠もないから、敏博との間で控訴人主張のような合意が成立したものと認められる。
しかし、前述のとおり南幸ビルは敏博と破産者との持分二分の一ずつの共有に係るものであり、右両者が共同で控訴人に対して二ないし四階部分を賃貸していたものであるところ、破産者との間でも同様の合意が成立したことを認めるに足りる証拠はないから、一〇月二三日合意の効力は賃料の二分の一(敏博が権利を有すると推定される部分)にしか及ばないというべきである。また、右合意は将来発生する賃料債務と控訴人の有する公正証書による債権等との一種の相殺予約を内容とするものであるから、敏博の相続人である破産者が破産宣告を受けた以後に発生した賃料については相殺に関する破産法の規定に従い宣告の時における当期及び次期の賃料についてのみその効力が認められると解するのが相当である(破産法一〇三条)。
なお、被控訴人(破産者管財人)は、再抗弁として一〇月二三日合意に対する否認権の行使を主張しているが、右合意は敏博と控訴人との間でのものであり、破産法七二条一号の否認権の行使の対象は破産者が破産債権者を害することを知ってした行為に限られるから、破産者の管財人が一〇月二三日合意を否認することはできない。
(三) 次に相殺の抗弁について判断する。
(1) 証拠(乙八、五〇、証人椎原邦晴、控訴人本人(原審))によると、控訴人は、少なくとも破産会社、破産者及び敏博に対して公正証書による債権二六五二万九五二九円を有していたことが認められるから、控訴人の右債権を自働債権とする相殺の抗弁によって破産宣告の次期までの賃料、すなわち平成八年一月から平成九年一月までの一三か月分の賃料は消滅した(ただし、このうちの半分は一〇月二三日合意の効力によって被控訴人(破産者管財人)の相殺の意思表示を待たずに消滅したことは(二)に説明したとおりである。)。
(2) 控訴人が南幸ビル三階について三〇〇〇万円の保証金を差し入れている旨の記載のある賃貸借契約書(乙一)があり、右三〇〇〇万円の差し入れに関する控訴人の供述に信用性のあることは前述のとおりである。また、右契約書によると保証金は賃借人である破産者の賃貸借契約上の損害賠償義務及び賃料支払義務を担保するものとなっているから、少なくともその一部は敷金としての性質も併有していると解される。また、同ビル二階及び四階部分の各契約書(乙二、三)にはいずれも敷金として二〇〇万円が差し入れられた旨の記載があり、右記載が事実ではないことを示す証拠もないから、控訴人はこれら敷金を(貸金を充当する方法によったとしても)実際に差し入れたものと認められる。そして、前述のとおり控訴人は平成九年九月末に南幸ビルを退去しているから、その時点でこれら敷金返還請求権が発生したと考えられるが、これから差し引くべき損害賠償金があったことを認めるに足りる証拠はない。
そうすると、控訴人の敷金返還請求権を自働債権とする相殺の抗弁によって平成九年二月から本件契約解除の効果が発生した日の前日である同年三月二三日までの賃料も消滅したこととなる。しかし、同ビル二ないし四階部分の賃貸借は被控訴人(破産者管財人)による本件解除によって平成九年三月二三日限りで終了しているから、同月二四日から同年九月三〇日までの南幸ビル二ないし四階の不法占拠に基づく賃料相当損害金一月当たり二〇万円合計一二五万一六一三円については破産法一〇四条一号によって相殺が禁止され、この部分の相殺の抗弁は理由がない。
なお、被控訴人(破産者管財人)は、控訴人の相殺の抗弁が時機に後れたものであると主張しているが、右相殺の抗弁が時機に後れたものであるとはいえない。
四 浅間町ビルに関する不当利得返還請求権について
1 控訴人が浅間町ビルに関して請求原因に対する認否3の(二)のとおり転貸料も含めた限度で賃料を受領したことは当事者間に争いがなく、また、一二月一二日合意が成立したこと、右以上に控訴人が浅間町ビルに係る賃料などを受領したことを認めるに足りる証拠のないことは、原判決「事実及び理由」の「第三 争点に対する判断」四、五記載のとおりである。
2 次に、被控訴人(破産者管財人)は、一二月一二日合意に関して破産法七二条一号によって否認権を行使すると主張するが、一二月一二日合意は敏博と控訴人との間で締結されたものであり、同号の否認権の行使の対象は破産者が破産債権者を害することを知ってした行為に限られるから、右合意に対して否認権を行使することはできない(なお、一二月一二日合意は、相殺予約を内容の一つとするものであるが、破産宣告以後に控訴人が受領し、あるいは支払うべき賃料がある場合は、原則として破産法一〇四条一号及びその趣旨によって相殺が禁止されるから、その意味で右合意の効力は否定されることとなるが、本件で控訴人が浅間町ビルについて破産宣告以後に受領し、あるいは支払うべき賃料があったと認めることはできないことは前述のとおりである。)。
第五結論
したがって、被控訴人(破産会社管財人)の請求の全部及び被控訴人(破産者管財人)の請求のうち南幸ビル二ないし四階の賃料相当損害金一二五万一六一三円の支払を求める部分は正当として認容すべきであるが、被控訴人(破産者管財人)の控訴人に対するその余の請求は失当として棄却すべきである。
よって、控訴人の被控訴人(破産会社管財人)に対する控訴を棄却し、控訴人の被控訴人(破産者管財人)に対する控訴に基づき原判決主文第二ないし第四項を変更し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六七条一項本文、二項、六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 新村正人 裁判官 宮岡章 裁判官 田川直之)